共同親権時代に、家族をどう支えるか

小川先生の記事を読んで考えたこと

令和8年3月25日に中国新聞に掲載された、小川富之先生へのインタビュー記事を読んだ。この4月から始まった共同親権について、その趣旨や懸念、そして今後必要となる相談・支援体制について語られていた。制度の説明にとどまらず、父母の関係性に応じた支援の必要性や、離婚後の親子交流を支える仕組みの重要性にまで論点が及んでいたことが、とても印象に残った。記事はこちら。

私は長く福祉や相談の仕事に関わってきたが、この記事を読みながら、共同親権という制度そのもの以上に、私たちの社会は「家族をどう支えるのか」を改めて問い直す時期に来ているのではないか、と思った。

人生120年時代、家族の課題は軽くならない

人間の寿命は長くなった。私は昨年出版した本の中で、「人生は120年時代に入った」と書いた。長く生きられること自体は、喜ばしいことである。けれども、人生が長くなればなるほど、夫婦や家族にまつわる課題が軽くなるわけではない。むしろ、長期化し、複雑になっているように感じる。

気の合わない相手と長く暮らし続けることは、決して簡単ではない。価値観の違いを抱えたまま、子どものため、世間体のため、生活のためと我慢を重ねていけば、夫婦関係そのものが心身をすり減らす場になってしまうこともある。子どものためと言いながら、無理をして仮面夫婦を続けることが、本当にその子の幸せにつながるのか。私はそこに、以前から違和感を持ってきた。

離婚には、いまだに「失敗」という空気がまとわりつく。だが、相談の現場で見てきた実感から言えば、離婚そのものが不幸なのではない。離婚したことで、ようやく穏やかな表情を取り戻す人もいる。反対に、別れないことを選んでも、関係の中で傷つき続ける人もいる。
では、その違いはどこにあるのか。私は、こじれる夫婦にはかなり共通した特徴があると感じている。対話の質と量が足りないのである。

価値観が合うことより、違いを扱う力

夫婦は、どこかで必ず価値観がぶつかる。
子どもが生まれたとき。仕事が忙しくなったとき。親の介護が始まったとき。役職や収入が変わったとき。子育てが終わり、老後の暮らしが見えてきたとき。結婚した当初は気にならなかった違いが、人生の局面ごとに少しずつ大きくなる。

この頃は、価値観の合う相手を探して結婚することが当たり前のように語られる。もちろん、それ自体が悪いとは思わない。けれど、価値観が合うことを結婚の前提にしすぎると、合わなくなったときに脆い。夫婦は、必ずどこかで合わなくなる。大切なのは、合わなくなったときにどこまで相手の話を聞けるか、どこまで自分の思い込みをいったん横に置けるか、どこまで違いを抱えたまま対話を続けられるかだろう。

私は、「聴く」ということには、どこか相手を「許す」ことに近い働きがあると思っている。自分の理想通りに動いてくれない相手、思い通りにならない相手を、どこまで受け止められるか。そのためにこそ、夫婦には対話の技術と習慣が必要なのだと思う。

共同親権は、制度だけでは動かない

共同親権は、離婚後も父母が子どものために関わり続ける道を広げる制度である。考え方としては理解できる。離婚しても、子どもにとって父であり母であることは変わらないからだ。

しかし現実には、別れた後も協力できる父母ばかりではない。話もしたくない、連絡も取りたくない、約束が守られない、恐怖や不信感が強く残っている。そうした関係の中で、制度だけが先に走れば、子どものための仕組みが新たな対立の火種になることもあり得る。だからこそ、小川先生が指摘されていたように、制度と一緒に、相談と支援の体制を整えなければならないのだろう。

共同親権の導入は、単なる法改正ではない。
それは、夫婦とは何か、親とは何か、家族とは何かを社会全体に問い返す出来事なのだと思う。

結婚した後を支える仕組みが必要だ

私はここで、まず「結婚した後を支える仕組み」が必要だと考える。
いまは出会いを支援する仕組みや婚活の場はあっても、結婚した後の夫婦を支える仕組みは驚くほど乏しい。どんな家族をつくりたいのか。お金のこと、親との距離感、子どもを持つかどうか、役割分担、けんかをしたときのルール、助けを求めるタイミング。こうしたことを、結婚前後や節目ごとに相談できる機会がもっとあってよい。

たとえば、婚姻届を出したときに、節目で相談できる「夫婦手帳」のような仕組みがあってもよいのではないか。妊娠や出産の場面でも、子育ての知識だけでなく、夫婦関係をどう守るか、追い詰められたときにどこへ助けを求めるかまで含めて支える必要がある。少子化対策を本気で進めるなら、「結婚まで」ではなく、「結婚した後」まで支援の視野に入れなければならないと思う。

家族だけに家族の機能を背負わせない

次に必要なのは、家族だけに家族の機能を背負わせないことだ。
高齢化が進み、単身世帯は増え、家族は以前より小さく、弱くなっている。それなのに介護も子育ても病気も、最後は家族が何とかする前提が残っている。けれど、頼れる家族がいない人もいるし、家族関係そのものが苦しさの原因になっている人もいる。家族がすべてを担う時代は、もう終わっているのではないか。

これからは、家族が担ってきた機能を少しずつ社会に分けていく発想が必要だと思う。食事をともにできる場、気軽に相談できる相手、困ったときに専門機関につなぐ人、無理なく見守る仕組み。家族の役割をひとつの単位に押し込めるのではなく、地域や社会の中に分散させていくことが求められている。

地域に「近くの親戚」を育てる

そして三つ目に必要なのが、地域の中に「近くの親戚」のような関係を育てることだ。
昔のような濃い地縁は、今の時代には合わない面もある。プライバシーも、自立も大切だ。けれど、完全に孤立した暮らしは人を弱らせる。必要以上に踏み込まない。でも、見て見ぬふりもしない。困っていそうなら声をかける。必要なら専門機関につなぐ。そうした「近くの親戚」のような関わりが地域の中に増えれば、家族だけに重荷を背負わせずに済むし、一人で生きる人も孤立しにくくなる。

住まい方も大切だと思う。昔の長屋のような濃密さをそのまま復活させる必要はないが、ほどよい距離感でつながれる住まい方や拠点は、これからの社会にもっと必要になる。一緒にご飯を食べられる日がある。何日も顔を見なければ誰かが少し気にしてくれる。そんな「ゆるい家族」のような関係を支える仕組みは、これからの地域づくりの重要なテーマになるはずだ。

家族を大事にしながら、家族だけに背負わせない

小川先生の記事は、共同親権をきっかけに、父母への相談支援体制の必要性を明確に示していた。私はそこからさらに、離婚前後だけでなく、結婚前後、子育て期、介護期、そして一人で生きる老後まで含めて、家族を支える社会の仕組みを考え直したいと思った。

家族を大事にすることと、家族だけに背負わせないことは、矛盾しない。むしろ、長く生きる時代だからこそ、その両方が必要なのではないか。共同親権の議論を、法律の話だけで終わらせず、家族のあり方と社会の支え方を見直す入口にしていくことが、これからますます大切になると思う。

この記事、noteでも3回シリーズで発信しています。

よかったら、ご確認ください。

1回目 離婚は失敗なのか―共同親権に考えたい、夫婦の対話力

2回目 結婚した後を、誰が支えるのか―夫婦を孤立させない仕組みを考える

3回目 家族だけでは支えきれない時代に―地域で“近くの親戚”を育てる