子供の頃、お習字を習いに行っていました。
歩いて10分くらいのところに
池田太然先生という
がんこそうだけどおちゃめなおじいちゃん先生が
質実剛健な書を教えてくれるのです。
がらがらがら・・・と、引き戸をあえて
「こんにちは!」とあいさつをするのですが
わたしは気が小さくて
「こん・・・・わぁ・・・」と言っていると
「聞こえん!大きな声で!」と言われます。
(きこえてるやん・・・)
「こんにちはっ!」と言うと
「よっしゃっ!」とほめてくれます。
その先生の
太くて大きな「よっしゃ!」の声と
墨のにおいが好きで
書道教室に通い続けていました。
飽き性な私にとってなにがよかったかというと
先生のお手本が手元のすぐ横にあるという
安心感だったように思うのです。
書き方のコツ、
息遣い、
スピード、
イメージなど、
資格聴覚体感覚で教えてくれるのです。
私はそれをいろんな感覚を使って
描いていくのですが
なかなか思うようにいかないのです。
朱色の墨で直されると
そこを注意して、さらに練習を続けます。
いつしか段位もあがりました。
お手本があるということは
ゴールがあるので安心できる
細かい修正ができる
イメージしやすい
間違いが最小限になる
など、いいことがたくさんありました。
一般に、社会人になったら、
こうしたお手本があちこちにあるので
多くの人はそれをめざして
がんばろうとします。
わたしもそうしようとしていました。
ところがあるとき、
お手本そのものが
なりたいお手本かどうか?
いいの?まずいの?なんか変じゃないの?
みんなと同じはいや・・・など、、
自分なりの判断がむくむく生まれてきたのです。
そして、いつのまにかお手本なしの人生を歩くようになります。
レアケースかもしれません。けれど、
あてがわれたお手本に憧れも尊敬ももてなかったので。
2020年、コロナで価値観がひっくり返りました。
それ以前からも、、
ダイバーシティ
多様性社会
エイジレス
ジェンダー
いろんな考え方や生き方が生まれてきていました。
こう多様な価値観ありの時代に
お手本=ロールモデルなんてものがあるでしょうか?
そう。
もう、ないのです。
今は、お手本のない時代。
いままでそばにあったそういう「安心」は
自分でつくりだすものになりました。
池田先生のようなお手本や
褒めてくれる先生を頼りに生きてきた人は
なんともこころもとない時代になった!
とお嘆きでしょう。
いいのかわるいのか、だれに聞いても
なにに照らしても
よくわからないわけです。
けれど、じたばたいっても
今はお手本のない時代です。
自分のなかで軸をもつことが大切で
その軸は、いい影響を受けながら
どんどん成長をとげるのです。
だから
大切なのは
「軸にどんないい影響をもたらせばよいのだろう?」
自分にスパイス、与えてほしいのです。
大丈夫
うまくいかなくても大丈夫
修正して書き直せば良いのだから。
そして
あなたのことをちゃんと見ていてくれる人が
かならずそばにいるはず。
そうやっているとやがて
あなた自身が「いいお手本」になるのです。
今となってはなつかしい、
池田先生の「よっしゃ!」を
また聞きたくなってきました。
懐かしいふるさとの思い出です。