いつの時代からなのか私は知らないけれど

お金が流通しはじめて以降

モノの価値が客観的に数字にできたのは

大きな文化の発展だったんだろうなと想像できます

すると、お米とか野菜とかとってきた魚とか

竹細工や農機具とか織物とか

作ったモノの価値がお金というプライスに現れて

物々交換していったんでしょう


だから、価値をどうつけるかが大切だったから

ていねいな仕事、緻密な仕事に

それが難しいなら、ほかよりもたくさんという量

ほかよりも早く という価値を工夫してつけていったわけです


今、お金で生活が成り立っている時代にあって

自分の仕事が給料になって評価されています


人生100年時代には年金や老後の資金がなかなか不安ななか

介護予防の声かけで健康寿命がどんどんのびた私たちは

生み出した時間と元気をどこに使おう?と考えるよりさきに

仕事をしなされ〜と国からお誘いを受けています


ところが、いい年齢をすぎた人々の働きは

どうしても若い人にはかなわないことも多い

スピードも、PCも、そして

いままでのあたりまえがどんどん変わっていくのに

どうしてもついていけないうえ

「今まではこうだった」と自分の体験が正しいと主張してしまうと、

職場ではなんとなくの壁ができてしまうのは否めません


こうして、生産性だけで判断をすると

当然、かなわないことが多いでしょう


けれど、時間単価や生産性オンリーで判断しないでいい

ということもあります


人じゃないとダメな仕事や 人工知能にはさせられない仕事

若い人にはわからないようなこともあるし

相手の顔色や今までの経験から瞬時に判断するのは

人生経験豊かな人にしかできないことでもあります

さらに、

感情に寄り添うとか、辛い時にこそ同じ年齢の人に

似たような境遇の人に寄り添ってもらいたい

というのもあります


そこに価値があるのです


目に見えない価値こそ、

コロナ禍の今、私たちがいちばん忘れてはいけないこと

それができる人でありたいものです