最近、変わったなあってことがいくつかありました。
まとめてみたので、すこしお付き合いください。
ただ、1つのコラムにまとまらないので、いくつかに分けます。
そして、全部アップしきれなかったので、
おいおいアップしていこうとおもいます。
もうちょっと読みたいってかたは、
リマインダー設定とか、定期的にのぞきにきてください。
あくまで気まぐれなまるやまです。ご容赦ください。

テーマは4つ
(1)高齢者と介護支援
介護保険外サービスニーズの高まり
介護従事者不足が原因 サービス量の減少
3つの資本を持つ高齢者の力を借りたい

(2)子育て支援VS高齢者支援
移住促進で自治体の競争に?
お金で呼び込んだその後は・・・
世代の対立は、地域ケアの大敵

(3)ケアビジネスと福祉活動が難しい
収益化・人材確保 もはや経営難
保険外サービスと9割引サービスは難易度高
ケア人材は他業種へ奪われる
事業者の悲鳴
どうする行政

(4)最近の地域福祉手法の変化
以前の手法が通用しない
間に合わない
「地域」の範囲があいまい

 

1 介護保険外サービスニーズの高まり 

この話をする前に、昔話から始めなければなりません。
若い方々には、セピア色に染めて、想像してもらえれば助かります。
 

高齢者に医療費無料にしたり食事がよくなったり、いいことたくさんした結果、高齢者がやばい増え方するぞ、と危機感から平成122000)年に施行された介護保険は、それまで行政の措置だった介護サービスを、本人家族の意思として契約で利用できるようにした画期的な制度でした。措置って、例えばこれは私自身も生まれる前の話、米も塩も、国が配っていました。最近の話だとマスク(アベノマスク)も配給でしたね。それが契約になった、つまりほしい人は自分の判断で、お金出して買ってね。です。 

介護で使うのは保険対応の9割引サービス。当初、これが契約?安すぎない?選んでるだけでは?と、個人的にはいまひとつピンとこなかった。しかし、20数年かかって、安すぎるとは言えない金額になり、選ぶことにも制限が生まれ、サービスに結果が求められたり、事故があったら訴訟にもなって釈然としない結果が続いたり、また、家族と共に最高な看取りができたことや、連携会議はとても手応えを味わえたりしました。 

「高齢者が増えてやばい」のが「社会保障給付費が尋常じゃない増え方をしてやばい」といよいよ動き始めたのがここ数年。以来、保険で使える範囲が狭くなり、複雑な計算式と手続きですでに素人には手に負えないレベルです。すると、「保険で足りないのは地域のインフォーマルサービスで」という、保険外で工夫してよねといのがどんと出てきたのです。消費者が多く、経済力のある人が多い首都圏は保険外サービスはビジネスチャンスとばかりに増え、個人的にも「あー、これ、いいな」と思うものもたくさん登場します。お金は棺桶に持っていけない、人とのつながりが大事!と言っていきたけれど、孤独で孤立している頑固で偏屈な高齢者でも、そこそこ持っていたらお金でケアは十分買えてしまう時代にもなりました。プライバシーとか、面倒な手続きとか、ホスピタリティとか、ケアマネに頭下げてとかなくても、自由に介護サービスが買えるならそっちがいい!という、ビジネスになるニーズ、需要の顕在化から、いよいよ保険と保険外という括りが表面化してきた、というわけです。 

保険と保険外との区別ははっきりくっきりして分かれてきて、保険外も含めて本人と家族が判断をする時代になってきました。保険サービスの使い勝手が悪いうえ、利用料があがって、割高感。もし、それが「安かろう、悪かろう」の9割引サービスと思われるなら、手っ取り早く10割払っていいから丸ごと任せたいんだよ〜う!と思うでしょう。ケアプランに反映されないといけないプロセスも複雑で面倒。一括でやってもらえたら、というサブスクの希望がでてきていること、感じませんか?

でもこれは、首都圏、都市部の話。地方はどうだろう?介護保険外サービスって、ビジネススキルが必要。広島のようにお好み焼き屋さんがたくさんあるから、うまくお好み焼きが焼ける修行をオタフクソースがやっていればいいけれど、そういうビジネスモデルもない。そもそもこういうビジネスは、以前から思いのある人が情熱を持って取り組んでみたけれど、あえなく廃業・・・。そういうパターンはたくさんありました。そう、消費者がそこまでに来ていない、需要が育っていない、ということです。ということは、地方は相変わらず保険サービス頼みが続く・・・ということ。この先、この限界がやってくるというのに、です。

 

2 介護従事者不足が原因 サービス量の減少 

ここは広島県。東京、千葉、神奈川、埼玉、そして大阪。その次に、名古屋、仙台、福岡。今までならそのレベルに広島がエントリーできていたのに、大阪の次には広島ジャンプされて福岡です。広島の面白くなささっていうのが顕著になりつつあります。個人的な感覚ですが。 

コロナ禍に、人口の社会減がニュースで報道されていました。特に2030代の若者が広島から東京に大量し流出です。確かに私の周りにいる人も、あんなにコロナ禍なのに東京へ出るのです。最初は驚きましたが、よく見ると納得です。なぜだと思いますか?(長くなるのでここでは触れませんが) 

人口減少時代ですね。どの業界も人を確保したくて躍起です。介護業界だけではないのです、人不足。流通も建設もどこも深刻な人不足。だから、本気で、抜本的に、思いっきり賃上げしたり福利厚生を手厚くしたりしています。介護業界はどうでしょうか?今までもずっと人手不足だったので、もしかしたら慣れっこになっているのかも。本気度が足りない気もします。個々の事業所の努力に委ねられているのです。介護報酬改定で手間が増えたり減収したり赤字決算するのに、よくやってるなと本当に頭が下がります。でも、地方、特に過疎地では、勤務できる世代も利用者の数も激減。経営が成り立たないから当然廃業します。廃業すると、サービスそのものがなくなります。今、訪問介護がない自治体も増えてきていますよね。そういう自治体の介護計画ってどう書いてるんだろうと思うのですが、相変わらず「海と山に囲まれた自然豊かな」というお決まりののんびりした表記に苦笑いしたりして・・・。 

もう、遅いかもしれないけれど、事業者任せの介護人材確保って限界です。事業所からやめていくという「介護事業所からの離職」より深刻な「介護業界からの離職」を防ぐためにも、自治体とか職能団体が本気出さないといけないのではないかと。「介護って本当はあったかい心と心のつながりがあるいい仕事なんです〜」と感覚的に訴えるのはしらける、と現場の声を聞いたこともあります。 

地方の介護サービスの量、種類が減っていくことで、当然介護の質も落ちますよね。これをみて「あぁ、地方にいては将来が不安」と思う賢明な人は、行き先探してどんどん流出していくのではないかと心配しています。 

 

3 3つの資本を持つ高齢者の力を借りたい 

減っていくもの・失うもの・心配材料ばかり考えても仕方ないので、前向きな話も。
増えていくもの・得られるもの・安心材料として浮かぶのは何か、です。 

強力なそれは、、、、「高齢者」さんたちです。65歳以上という人、というより、人生の前半を終わって後半に来たよって人たちのことを指してほしいです。私も入っています。 

いろんなものを持っています。時間、体力、そしてお金。講演とかでは健康と知性と希望があると表現しているのですが、それも間違いではありません。幸福度も高いので、私は個人的に今の高齢者は豊かだなと思うのです。だからこそ、人生最後にやってくる介護のピンチが気になって仕方ないのです。終わりよければすべてよし、じゃないですか。あんなに豊かさ満喫していて最後になって・・・・。 

で、どうするかです。持っているものを使って、自分たちの将来は自分たちで作ってほしいと考えています。いいものたくさん持っているのに、何もしないでいるなんて。 

なぜか? 

  1. 知らないから

いま何が起きていて、これからどうなるのか、都会では、世界ではどうなっているのか、なんていう情報を知らなさすぎる。知らないってことはある意味幸せです。でも、知識は自分を助けてくれます。知識、伝えていますか?無知な住民、作っていませんか?介護予防と言いながら、「教養」レベルの行事をひたすら続けている自治体がまだ散見されます。税金の無駄遣いってことも、住民が知ったら自分たちが困るからでしょうか? 

  1. 方向が示されないから

介護は、もう、至れり尽くせりは夢の話です。本人が老後の暮らしにどんな希望を持つのかで決まってきます。50代の友人たちは「がんになっても積極的治療をしない」「子どもたちには子どもたちの暮らしがあるから時々連絡できる程度でいい」「痛みだけなんとかしてくれれば医療はそれほど」「検診?絶対受けないよ。下手に見つかったら大変だから」という(訳のわからないような)話も聞きます。でも、総じていうと、自分たちの老いは自分たちでやるっていうそこそこの覚悟はできているということです。自治体が考える老い先のビジョンがあれば、そこにエネルギーを注げるのに、ない(あってもイメージわかない)から、もう頼らないよってことになるのです。 

  1. サポートがないから

暮らしに必要なのは何か?生活感覚の鋭い人は、たとえば主婦、親、衣食住の仕事などの人はきっとわかることです。子ども食堂を作ろう、放課後に手軽に行ける塾とか自習室を作ろう、高齢者の晩ごはんを一緒に食べよう、から始まり、ペットボトルの蓋が開かない、ゴミの分別がわからないし持てない、持てないものでいえば灯油、お米、水のペットボトル、キャベツまるまる1玉が持てない、、、気になります。思いのある人はそれを活動にしようとします。社協にいた頃は、これを起こして広報して意味づけや価値の創造をしながら、自主運営で継続させるまでという、コミュニティのコンサルティングをしてきました。サロンは年間10箇所以上作っていたので、10年やったとしたら100箇所lくらいです。私が退職しても継続してくれたりして、久しぶりに戻ると実家のような歓待でした。 

いま、そういうサポート、誰がやっているんでしょうか。社協も忙しい、包括も忙しい、行政も忙しい。したくてもできないのです。他に優先順位の高い相談対応や業務が当然ありますからそっちやります。そうすると、活動は始まりません。 

地域活動は成長するとコミュニティビジネスになります。保険外サービスに成長したりします。地方でも小ぶりな形で経営できるはずなので、いい感じに成り立つはずなのです。あぁ、もったいない。 

 

もったいない。お金、時間、体力のある人々が、何やればいいの?って言っているのに、「古い形」で教養ばかり伝えている。あぁ、もったいない。 

 

 

 という話でした。
次回は・・・
(2)子育て支援VS高齢者支援 のお話です。